40年以上生きているとそれなりにいいことや悪い事というのがそれぞれありますよね。
もちろん私もそうでした。
いいことばかりでは当然なく、どちらかというとしんどい思い出のほうが多いくらい。
私のような就職氷河期世代には人数が多い分競争が激しく、職場環境も悪く、しんどい思いをした方も多いのではないでしょうか。
私も必死になって勉強や仕事をしてきた一人です。
しかしながら世の中のきびしさ、そして優しさをじわじわと自分なりに理解することができるようになってきたかなと感じるようになりました。
今回は私の人生がより良いものにしようと背伸びをしまくったばっかりに消耗してしまっていたという経験をお話したいと思います。
壮絶な体験ではないのですが、私にとっては結構しんどいなと思ってしまいましたので記事にして発散したいと思います。
今日の記事はお金にまつわる記事ではありません。 ひめだかはこんなやつなんだということを理解していただく一助となれば幸いです。
私の振り返ると
私の人生をちょうどいい機会なので振り返ってみます。
それは相当背伸びした人生ですよ。
高校時代
当時私は大阪府に住んでいました。
中学校時代はそこそこいい成績だったのですが、高校の選択の余地が少なかったのです。
当時は地元集中とよばれる独特の受験制度(と勝手に中学校の教師たちが行っていた)があり、地元の公立高校のランキングは
- エリート校 偏差値70
- 賢い高校 偏差値65
- 地元の高校 偏差値48
と事実上の3択となっていました。
私の偏差値はだいたい60くらいでしたので背伸びをして賢い高校へ行くかあるいは地元の高校へ楽勝で行くかの二択となります。
本当ならば偏差値57くらいの高校などが選択できればベストだったのかもしれませんが、このような極端な選択肢しかありませんでした。
ここで私は背伸びをしてしまいます。つまり偏差値65の高校へ行くことにしたのです
受験をして無事合格。
高校生活はそれなりに楽しかったのですが、授業がついていけずにめちゃくちゃアホになってしまいました。
もちろん当時はそんな事態を回避すべく必死で勉強しました。でも要領が悪いのもあって通知表は40点以下ばかりの真っ赤っ赤な状態でした。
高校3年生のときにはじめて受けた模試の偏差値が35だったのですから相当なものです。
当然現役時代は受験校はすべて全滅、浪人してようやく大学生になることができました。
就職活動
大学時代も無理して体育会系に入って競技がうまくならないままもやもやとした4年間を送ったのはおいておいて・・・
就職活動においても背伸びをしてしまいました。
それは大きな会社へ入りたいというものです。
いろいろ頑張って、なんとか就職することができました。
大きな会社というブランドに気を良くした私は進んでいた面接も断り、この会社に就職し、現在に至っています。
仕事をはじめてから
仕事を始めてからも競争が激しく、どんくさいながらも必死に仕事に取り組みましたが心も体も消耗してしまいました。
挙句の果てには心を病んでしまい、休職へと追い込まれてしまいます。
その後職種が変わり、七転八倒しながらもなんとか仕事をこなしていました。
しかしながら超優秀な同僚が配属され、私が悩みながら行っていた仕事をサラッとこなしていくのをそばで見ながら要領の悪い自分が再び憎らしくなってきています。
承認欲求の塊だった
このような人生を送っている私はまさに失敗体験の宝石箱のような存在です。
どうしてこのような無理をした人生を送っているのかと常から悩んでいたものなのですが、ようやくわかってきたような気がします。
要領が非常に悪いこともありますが、過去の私はまさに承認欲求の塊だったと思うのです。
親
まず親に対してです。
父親は非常に厳しく、定期テストのたびに弱点を見つけられては2時間位の説教を受けていました。
そして本来ならあるはずの反抗期も封じられたまま大人になっていったと今になって実感しています。
たしかこういう人をアダルトチルドレンっていうのでしたっけ。
親に対していい格好をしなくちゃいけないことやほめられたいという欲求があったのかもしれません。
ただ・・・人生40年の中で父親にほめられたことは殆どありません・・・
会社
仕事についても同様です。
上司に認められたい、そして出世したいといった承認欲求が強い半面、
それが全くの裏目に出て承認されるどころではない状態となってしまいました。
認められることはないとはわかっていながらも仕事ができるようになろうとしていました。
一体何やってんだという気持ちですね。
自分自身はけっこうしんどかった
そんなこんなで、私はしんどい思いをいろいろとしてしまいました。
自分で無理をしているという気持ちでいっぱいなのですが、それが止められないのです。
仕事も勉強ももっと手を抜けばいいのに、と思う方もおられるかもしれません。
ところが私の場合手を抜くと極端までに手を抜いてしまうのです。
これがとても怖いのです。
ほどほどに力を抜いて気持ちよく仕事や勉強ができればもっと良かったのですが、それができない私にとっては一所懸命に取り組むくらいしか方法がなかったのが悔やまれます。
これからどうするか
いろいろと私の失敗体験をお話しているのですが、これからどうしたら良いかを考えてみたいと思います。
過去は変えられない
なんだかんだ言っても過去は変えられません。
今まではこういった辛いことを頭のなかで考えたり、妻と話をしたりして発散したりしていました。
今はこうやって気持ちをブログという形で表現ができるようになりました。
これだけでも自分の気持ちを整理する方法をひとつ見つけられたような気がします。
頭のなかでもやもやと考えることを文字として表現すること、これだけでも気持ちが楽になってきます。
これからは背伸びをしない人生を送りたい
なんだかんだ言っても私も40歳を過ぎて人生の折り返し点を過ぎました。
親や会社に認められていないなか唯一認められているのは家族です。
こんな失敗しまくりの私ですが、妻や子がいて普通の暮らしを送ることができています。
これからは認められることを目指すのではなくもっと自分のため・家族のためによりよい暮らしにしていきたいと思っています。
いろいろ失敗ばかりしてきた私です。この体験をブログに書くことができるのもこの失敗ばかりしてきた経験が生きています。
あまり無理をせず背伸びをせず、妻や子にいじられながらも笑える暮らしにしていきたいと思っています。
まとめ
今日は過去を振り返ってみたいと思い、私の背伸びをしまくって損をしていた人生についてお話しました。
要領がよくてサラッとした人生のほうがいいとは思いますが、そうはうまくいかないのが人生というものです。
ただ壮絶な体験がなかったのもそれはそれで良かったのではともこの記事を書いていて感じました。
これからもこのような体験を通して得られた知識をブログの記事にしていきたいと思いますので読んでいただけたらと思います。
では、またよろしくです!
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